本日のブログ記事① 『現代社会への警鐘』 こちらも、宜しくお願いします。
本日のブログ記事② 『「忘れる」ことは人磨きに最適』 こちらも、宜しくお願いします。
先日、子供の個人懇談にいったとき、「忘れ物」の多さ、「整理整頓」を指摘された。約20分間、「忘れ物」が中心だった。小学生のお子さんがいらっしゃる方には、この約20分間が長いか短いか、理解できると思いますが・・・。とにかく、長い。
『私とベテラン先生の懇談』
○宿題の忘れ・手紙・プリントなど
「一般的結論:「整理整頓」ができないことから「忘れ物」が増える。」
[例1:宿題]
宿題をやっていないから「忘れ物」。宿題を持って行っていないから「忘れ物」。
これは、聞いたときがある。もちろん、私自身も経験はある。
しかし、出し忘れの「忘れ物」は聞いたときがない。
[例2:歯磨き]
朝ご飯を食べて、歯磨き、「行ってきます」が本来の姿。しかし、ほぼ、毎回、この姿から歯磨きが消えている。だから、毎朝、同じことを言っている。
先生の結論:これは、6年生まで続くでしょう。長い目で見ていきましょう。
私の結論:目的意識が芽生えれば変わっていくだろう。そのために、早いうちに痛い目を見るのもよし。「忘れ物」をどのように補えば良いのか出会うのもよし。本気でやりたいことに夢中になるのもよし。「忘れ物」に対して細かいこと言わずに「待つ」だけ。
【私の解釈】
子供であろうが、大人であろうが、「忘れ物」や「忘れること」はある。一種一芸のように、一つのことに全力を注げば、物理的に必要な物は絶対に忘れなくなる。忘れる・忘れないではなく、それが無いことには始まらないからである。これが、私のいう「目的意識」や「本気でやりたいこと」である。
それだけ、大事な物でもあるのだから、置く場所も同じになる。その結果、自然に整理整頓が可能になってくる。
しかし、私たちの生活は一種一芸とはいかない。あれも、これも、と、物理的にも、人間模様としてもやることがたくさんある。どんなに計画をたてても、その通りにいく確立の方が低い。1,2日目がうまく行っても、数日で「忘れ物」や「忘れること」はある。
人の本来の姿でもあり、許容範囲の中に含まれていなければいけない。
子供社会より大人社会の方がやる事、考える事が多いのだから、突然「忘れる」こともあるので、そんなに大きく捉える必要はないはずである。
ただし、大人のプライドをくすぐる考え方をすれば、深みにはまり苛立ち、焦り、思い出すのに時間がかかる。よく、忘れた頃に出てくることがある。これこそ、深みにはまり思い出せなくなった証拠でもある。
だから、どのように補うのか考えるように癖づけると良いのである。
【私の対策】
あるときから、私自身の「脳」の中にある先入観を変え、新しい考え方を癖づけた。
ある師(私が勝手に思っている人)の一言
『日本語の解釈を間違えれば、出てくる結果はおかしい結果が出てくる。結果は、ウソをつかない』
「忘れる」を指摘される光景を浮かべてみてください。このとき、一番、「忘れる」に執着している人は誰ですか。あなたではなく、相手ではないですか。あなたは、攻められることからの「防御」と「気遣い」の姿ではないですか。
日本語として「忘れる」があるのは、人と人の人間模様の仲介をする用語であり、中性詞ということになります。
本来、個人的に使う言葉ではなく、先人によって先入観を持ってしまった言葉である。個人でいえば、「関心が薄い・無い」「興味が薄い・無い」「強く意識し過ぎる」「集中力が高すぎる」ことなどの姿によって生まれているので、「忘れる」という姿とは違うはずです。
このように、考えるようになってから、目的を明確にすることができ、明確になったものから整理し、処理するようになりました。先にも述べたように一種一芸ではなくても、シンプルに同じ行動が取れるようになり置き方・やり方が徐々に安定してきました。
繰り返し続けることで少しずつ変化します。
また、このようなことにも気づきました。
「関心・興味」というのは、感情ですので「こころ」なのです。
「意識・集中力」というのは、処理された行動ですので「脳」なのです。
カテゴリー”うつ”の記事でもお伝えしているように、
「こころ」と「脳」の活動が偏らないことが健全・健康な活動を生み、信用・信頼の安定感のある姿を積み重ねるのです。
応援して頂けると有り難いのですが →
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