裏安全圏内の過保護・過干渉
表社会があれば、必ず密接して裏社会が存在する。云えば、表の顔と裏の顔である。
事実、表社会では、「安全圏内」を明確にしている人、崩壊している人など、様々な環境が存在しています。裏社会の環境はいかがな物でしょうが。
ここでいう裏社会とはいったい何を指すのでしょう。一言で「家庭内」を意味する。
表社会に従属しながら各家庭の治外法権・身分差別が認められているのです。
しかし、裕福。平和、安心社会によって、掻い摘みの好い所取りを強制する理不尽な独裁親権を生んでいないでしょうか。
「良い大学に入って、良い企業に入って」という幻覚の支配下に置かれたことはありませんか。また、親の思うような結果がでないとき「やる気があるのか」「恥ずかしい」など追い討ちをかけられたことはありませんか。また、比較されたことはありませんか。
私は記憶として鮮明に残っている。
いつしか「いい子」の仮面を手探りで見つけ、自分でない自分のポジションを確立し始めるのです。
それは、親から褒めて貰いたいのではなく、窮屈な「こころ」と締め付けられる「脳」から逃げるためです。経験豊富なら向き合うことも可能でしょうが未熟で支配下に置かれている以上、唯一の活きる方法として「いい子」を演じるのです。
また、両親の領土争いが加われば、お互い独自の可愛がりが始まり、矢の先に火を点け弓を引くのです。その矢には、「俺のように」「私のように」と書かれており、支配下である「いい子」に向かってくるのです。その度、活きるために、状況に応じた仮面を用意するのです。
一方では、表社会で「中の上」以上の地位を確立し、評判も良い両親による愛情の支配があるのも事実です。一見、順風満帆でお互いを認め合っているようにも見えるのですが、徐々に支配し、言い出せない環境を作り上げていくのです。
仮に何かを訴えたとしても、尊敬に値する親の理論的な判りやすい会話に、成すすべも無く納得するのです。
確かに正論ではあるのだが、実際に正論は無数にあり、どの正論の道を選択するのかが重要であるが、支配下でもあり、未熟でもあるが故に尊敬する親の暗示に掛かっているのです。いつしか、「そこまで、いい子ではない」と、真の自分に気づくのです。
同時に尊敬する親にどのように言い出せば良いのか判らない自分と本当に姿を認めて欲しい自分に出会うのです。
そして、あの手この手と「脳」で暗示を解こうとするのです。すればするほど、尊敬を裏切りたくない「こころ」を困惑させるのです。互いに相反する活動によって、今迄以上に前に進めなくなり、ついには投げやりになるときがくるのです。
あなたは、前者の親。後者の親ですか。また、どちらの「いい子」ですか。
互いに共通しているのは、未熟な我が子の自主的チャレンジ精神を奪い、親のテリトリに置き、全ての安全確認を行い、そして、舗装した道を歩かせようとしているのです。
これは、我が子を見ずに、世間体を気にしているからである。
この親の子が鏡の前に立てば、映っているのは子の姿ではなく、常に親の姿が映っている。世間体を見て、散々舗装した道を歩かせておきながら、ある年齢に達すると自立を促せられた子は、突然、、自分の姿が映っている鏡を見て、きっと戸惑うときがくるでしょう。そして、数々の不安から何かに依存し、抑えることが出来ずに徐々に”うつ”に近づいていくでしょう。
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